ロマン・ポランスキーRoman Polanski (1933-)
出生地:パリ
配偶者:Barbara Lass(1959-1962)、シャロン・テート(1968-1969)、エマニュエル・セニエ(1989-)

映画を観る基準とは人それぞれ。監督だったり、俳優だったり、あらすじだったり。
昔は俳優でチョイスしていた時期もありますが、年齢を重ねるにつれ、壮絶な人生を歩んできた監督さんへの思いが強くなってきました。
そんな監督さんの全作品を制覇したいという願いも込めつつ、プロフィール等をここに。
【監督作品】
1955 Rower/Bicycle
1957 笑顔/ Usmiech Zebiczny/Toothful Smile
1957 パーティを破壊せよ/ Rozbijemy Zabawa/ Break Up the Dance
1957 殺人者/ Morderstwo/ A Murderer
1958 タンスと二人の男/ Dwaj ludzie z szafa/ Two Men and a Wardrobe
1959 灯り/ Lampa
1959 天使たちが失墜するとき/ Gdy spadaja anioly/ When Angels Fall
1961 太った男と痩せた男/ Le gros et le maigre/ The Fat and the Lean
1962 哺乳動物たち/ Ssaki/ Mammals
1962 水の中のナイフ/ Nóz w wodzie
1964
反撥/ Replusion 1964 世界詐欺物語/ Le plus belles escroqueries du monde
1965 袋小路/ Cul-de-sac
1967 吸血鬼/ The Fearless Vampire Killers
1968
ローズマリーの赤ちゃん/ Rosemary's Baby 1971 マクベス/ Macbeth
1972 ポランスキーの欲望の館/ What?
1974 チャイナタウン/ Chinatown
1976
テナント恐怖を借りた男/ The Tenant / Le Locataire 1979 テス/ Tess
1986 ポランスキーのパイレーツ/ Pirates
1988 フランティック/ Frantic
1992
赤い航路/ Bitter Moon 1995 死と処女/ Death and the Maiden
1999 ナインスゲート/ The Ninth Gate
2002 戦場のピアニスト/ The Pianist
2005 オリバー・ツイスト/ Oliver Twist
2007 それぞれのシネマ/ To Each His Own Cinema
2010 The Ghost Writer
制作中God of Carnage
【出演作品】
1954 世代/ Pokolenie/ A Generation (アンジェイ・ワイダ監督)
1969 マジック・クリスチャン/ The Magic Christian
1974 処女の生血/ Dracula cerca sangue di vergine... e morì di sete!!!
1992 バック・イン・ザ・USSR/ Back in the U.S.S.R.
1994 他人のそら似/ Grosse fatigue
1994 記憶の扉/ Pura formalità, Una
2007 ラッシュアワー3/ Rush Hour 3 等
【関連作品】
2009
Polanski (ダミアン・チャパ監督)
【生い立ち】
ユダヤ教徒のポーランド人の父親とカトリック教徒でロシア生まれのポーランド人の母親の間にフランスの首都のパリで生まれる。3歳のとき一家はポーランドのクラクフに引越し、そこで幼少期を過ごした。第二次世界大戦時はナチス・ドイツがクラクフに作ったユダヤ人ゲットーに押し込められた。ゲットーのユダヤ人が一斉に逮捕される直前、父親はゲットーの有刺鉄線を切って穴を作り、そこからロマンを逃がした。父母はドイツ人に別々に連行された。母親はアウシュビッツでドイツ人に虐殺された。父親はドイツ人により採石場で強制労働をさせられ、終戦まで生き残った。自身も、ドイツに占領されたフランスのヴィシー政権下における「ユダヤ人狩り」から逃れるため転々と逃亡した。第二次世界大戦終結後にポーランドへ戻り、生き延びた父親と再会した。その後は映画に興味を持ち、冷戦下の1950年代にポーランドで俳優として活動を始める。いくつかのポーランド映画に出演後、自由な表現活動を求めてフランスに移った。
【私生活】
1968年に『吸血鬼』に出演した女優シャロン・テートと結婚(2度目の結婚)。しかし、1969年8月9日に、チャールズ・マンソン率いるカルト教団にテートを惨殺されるという事件に襲われる。テートは殺害された時、ポランスキーの子を身ごもっていた。
1977年にジャック・ニコルソン邸で、当時13歳の子役モデルに性的行為(強姦・アナルセックス)をした嫌疑をかけられ逮捕、裁判では司法取引により法定強姦の有罪の判決(実刑 懲役50年以上という換算)を受ける。ポランスキーは法廷の外では無実を主張、これは冤罪であり本人は少女とその母親による恐喝の対象になっていたと述べている。その後、保釈中に「映画撮影」と偽ってアメリカを出国し、ヨーロッパへ逃亡した。以後アメリカへ1度も入国していない。1978年にフランスに移り市民権を取得した。79年の作品「テス」で主演をつとめることになるナスターシャ・キンスキーとは彼女が15歳の頃から性的関係を結んでいた。1989年に女優のエマニュエル・セニエと3度目の結婚をし、2児もうける。
【監督業】
1962年に『水の中のナイフ』で監督デビュー。共産党一党独裁体制のポーランドでは黙殺されたが西側諸国で絶賛された。その評判に惹かれるように1963年にイギリスに渡り映画『吸血鬼』などを製作する。
主に1960年代から1970年代にかけて活躍したものの、それ以降は凡作が続き全盛期は過ぎたと見られていたが、2002年公開の『戦場のピアニスト』でアカデミー監督賞を受賞(上記の問題により逮捕・収監の可能性があるため授賞式には参加せず)、この受賞当時ポランスキーは69歳と7ヶ月で同賞の最年長受賞者となった。この記録はクリント・イーストウッドが74歳で受賞した2005年に破られた。
2009年9月、チューリッヒ映画祭の「生涯功労賞」授与式に出席するためスイスに滞在中、前述の少女への淫行容疑に関連してスイス司法当局に身柄を拘束された。アメリカは身柄引き渡しを要求したがスイスはこれを拒否、2010年7月12日に釈放を決定した。
(Wikipediaより抜粋、編集)
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